幸せとは。


IMG-20151012-WA0003

大好きなおばあちゃんの写真を見ていたら、会いたくて泣けてきて、どうやったら、私がおばあちゃんに会いたいと思ってることを伝えられるんだろう?と、最近とても近しいマレーシア人の友達にメールしたら、電話したり、頻繁に会いに行くことだよ、と言われた数時間後、この写真が送られてきた。

この本がいうには、

「家族のために時間を作らないで、目的ばかり追いかけていたら、いつかとても悲しいことになるだろう。幸せは、ものを得ることではなくて、そうあることだ」

と。

そうだと思う。

 

私はいつも思うけど、誰かに会いたいと思って、お金と時間を使って会いに行くってことは、すごいことだと思う。お金も時間も限られているわけで、その中で、私に会いたいと思って、会いに来てくれる人がいるなら、私はできるだけ一緒にいる時間を作ろうと思うし、ありがたいと思う。逆も然りで、会いに行ったのに、ないがしろにされたりすると、とてもがっかりする。もう次はないなと、その人に対するプライオリティがなくなってしまう。

20150922_195718

もちろん、家族と一緒に住むことに越したことはないけれど、私の場合、家族と離れて住むことが、一番自分のストレスがない。という結論に、30才くらいの時に到達して。おばあちゃんには、とても会いたいけれど。会いに行ったら、親から、あんたが帰ってくると気を使うから面倒くさい、なんて言われたら、帰らないほうが、迷惑かけないんだろうなと、思ったり。親はけして、子供にそんなことを言ってはいけないと思う。私が親なら、時間をかけて、遠くから帰ってきてくれて、ありがとう、と言う。

 

20150922_110906

 

家族だけでなくて、誰かを気遣っていることを表現することは、容易ではないと思う。

それは決して、テレパシーでは伝わらない。

行動で、言葉で、それこそその人に対して時間とお金をかけてでしか表現できる方法はないと思う。会えないなら、電話をする、メールをする、会いに行く。電話をするのも、メールをするのも、ほんのちょっとした時間だけど、それを行動に移すのはなかなか難しい。そこから利益を得られない場合は特に。風化されがちだ。

東南アジアにいて学ぶのは、彼らのプライオリティはいつも、仕事ではなくて、家族だから。なんていうか、時々うらやましい。そこは、日本人が逆に学ばなきゃいけないことだと思うんだ。

 

新しいモノを買っても、買っても、満たされない。だって、満たさなきゃいけないのは、自分の中身だから。持っているモノではなくてね。

 

一番初めの本の写真が送られてきて、ちょっと感動した。そして私の中の亡霊から解放される日が近いなと感じてる。

 

 

にほんブログ村バナーをおしてくれワン!
   ↓ ↓
  にほんブログ村 海外生活ブログへ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です