シンガポール人について思うこと


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よく話すシンガポーリアンの肝っ玉母さん的な知り合いがいて、いつも彼女と話題になるのは子育ての話だったり、シンガポールの最近の若者の話だったりする。

彼女には、4月から大学生になった娘さんがいて、娘はこうやって教育してる、という話をしてくれるんだけど、その話がいつも確信をついていて、面白いなぁと聞いている。

この一年、シンガポールにいて、私思うのだけど、シンガポール人って、特に若い世代、他人への依存度がすごく高いなぁと思う。自立してないっていうか。

例えば、どこに行くにもみんな”誰か”とじゃないといけないし、電車に乗っていて、ふと周りを見渡せば、みーんな携帯を見るために顔を下に落としていて、みーんな誰かとメッセージのやり取りをしている。特にWhatsappで。ふと、この人たち、一人になったら生きてけないんじゃないかしら、と思ってしまう。

「シェアする」って、人との関わりにおいて必要なことだと思うけど、ここ最近、この国で周りを見ていると、ちょっと過剰なんじゃないかなぁーって思ったりする。

 

例えばわたしも、彼がいることを知らないであろう男性からメッセージが来ることがあるのだけど。朝のおはようから、昼は何食べてるの?、夜はもう帰ったの?と毎日、毎日、メールがくることがある。しかも、毎日、毎日、同じ質問。何のトピックもなく、何の会話の広がりもなく。

毎日そういうメールは来るけれども、別に私が好きだとか言ってくるわけでもなく、だから、「ごめんなさい、わたし彼がいるんです」と言うタイミングもないし、だからと言って無視するのもどうかと思って、とりあえずの返信だけはしていたんだけど。ある時、思いついたことがあって、トピックを変えてみたら、返ってきた返事は「Oh」の一言。それで、「あなたの返事は、ohだけなんだ。笑」と返信したら、その後返事がなく、翌朝、また普通に「おはよう!」とメールが来たから、返信をするのをやめてしまった。

そうしたら、波が急に海にざざーーーっと引いてしまうかのように、もう全く連絡がこなくなって。そして、簡単な人間関係だなぁと思った。

こういう人は、ただただ、誰かとメッセージをしていないと安心しないだけで、ただただ、自分の存在を、誰かにアピールしたいだけ。

 

この話をシンガポーリアンの別の男友達に話したら、「トピックもないのに、何で毎日、しかも一日何回も連絡してくるわけ?!」と。そしたら友人は「だってもし、1日でも連絡を怠ったら、君はその人のことを忘れるでしょ?だから自分の存在を常にアピールしないといけないんだ」と言っていた。

シンガポール女子にはそれがいい、というかそうじゃなきゃダメなんだろうけど、私はちょっとそういうのはいらないなぁと思った。必要な時に必要なことだけで、いんじゃないの、と。

 

街中を歩いていると、本当にみんな誰か、とか、グループで行動しているのがよく分かるのだけど、それは、この国の家賃が高すぎて、子供たちが一人暮らしができない環境(シンガポールでは、結婚するまでは基本的には親と同居するから)が、いつまで経っても、精神的に自立できない人たちを生み出してるんじゃないかなと思う。

日本や欧米社会では、学生や社会人になって一人暮らしを始める人が多いと思うから、精神的な自立度が全然違うと、いろいろな人たちを見ていて思う。

それから、マレーシアでは、田舎からKLに、大学の為に来ていたり、働きに来ていたりしていた子が多かったから、中華系のカルチャーとして、グループとか家族で行動するのがよしとされてはいたけど、それでも、若い子たちは、もっと自立していたような気がする。

 

肝っ玉母さん曰く、「シンガポールでは両親が共働きだから、子供はかまってくれる人がいなくて寂しいのよ」と。それも一理あると思う。

それと、「でも日本は逆にね、自立しすぎていて、危機感が足りなさすぎるわ」と言っていた。例えば女性が、夜中に一人で歩いていて、強姦に遭ってしまうだとか、一人旅に出て、危険な目に遭うだとか。それは、自立を過信しすぎていて、それはそれでよくないことだと。最もだと思った。それから、自立しすぎていて、家族や人との関係が希薄になりすぎてしまっていることととか。

 

なにごとも、過剰はよくない、と思う。そして、それぞれいい面と、よくない面があり。

多くを学び、その中から得た知識と経験に基づいたバランスのとれた人でいたいなと思うシンガポール2年目でした。

 

 

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