ドタキャンがくれた休日


シンガポール チャイナタウン

今日はKLから友達が来るので1日観光に付き合う予定でしたが、まさかの前日ドタキャンだったので、久しぶりに1日中家にいた若草です。

過去のバリの記事、いっぱい更新しちゃった。こちらから、見てみてね♪

バリにいた時の、ローカル生活や、バリが嫌いでしょうがなかったけど、だんだん好きになっていく若草の過程を少しずつ紹介してます。ときどき余裕があるときに、過去記事から、わぁーっと更新してるので、次に見た時には記事が増えてることもあるので、どうぞ宜しくです。

冒頭のドタキャンに戻るけど、私はドタキャンする人が大嫌いです。

前はそれについて相手にいちいち怒ったりしてたけど、最近は、「いいよ」と言いながら、心の中では「もう次はないな」って思うだけにしてる。次はもうないって、私の時間をその相手にもう割くことはないなっていう意味。怒ったりするエネルギーも、時間ももったいないと思う。

わたし何よりも大切なのは時間だと思っている。

「時は金なり」って言葉は、「時間はお金のように貴重なもの」っていう意味と同時に「時間はお金を生み出すもの」っていう考え方があると思う。

例えば特に、個人で事業をしている人とか、「その1時間」を私に費やすことで、その1時間でこれだけのことを生み出すことができたのに、私に時間を使ってくれた、っていう事実がとても貴重だと最近感じている。

そういう時間が高給な人と、私の時間の重さは違うけれども、

相手が誰であれ、人の時間を頂戴するってことは、その人の何かを奪うことで、その頂戴しようとした時間を、いとも簡単に直前に、「あ、やっぱりごめん」ってキャンセルする浅はかさがとてもとても嫌い。それから直前で場所とかを変更するのはいいんだけど、変更することに対して、悪気が全くない人も嫌い。

人の時間は、切り売りできるものではないし、

誰かに会いに行くってことは、時間とお金を使って会いにいくわけだから、

それ相当の気持ちとか、メリットとかがないと会いには行かないわけですよ。

だから、私はドタキャンされたりすると、その人にとって私の価値っていうのは「その程度なんだな」って思ったりする。

そして2014年の終わり頃から、自分の中のそういう人間関係が何となく、見えてきて、自分にとって、本当に大切な人というのが淘汰されてきたというか。

時間は有限ではないから、

その大切な時間を誰と過ごすのか、何をして過ごすのか

去年くらいからこのことについて、私は深く向き合っているような気がします。

逆に時間とお金をかけて、私に会いに来てくれた人たちには、本当にありがたいと思うし、大切にしたいと思ってる。

 

はーー、しかし、1日久しぶりに家にいて、昔の自分のバリの日記を読み返しながら、あの頃の私はいろんなことを感じていたなぁと。

私は、違いの中で、いろいろなことを感じたり、考えたりするのだけど、シンガポールにいる私は、日本にいる時の自分に近くて、日々の生活の中で、バリにいた頃のような感受性がなくなっているような気がしてならない。

まぁ、今あの頃の生活に戻れって言われたら、きっと戻れないから、20代の頃にあんなハチャメチャな経験ができてよかったなって思うんだけど。あの頃の日記を読み返しながら、初心に戻ったりして、ドタキャンがくれたこの優雅な休日も、悪くはなかったのかもしれません。

 

★写真は、チャイナタウンの街角から

 

 

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