「○○人」と、括って話すことについての違和感

タイトルの記事内容の前に、前回記事の謝罪をさせてください。

海外イチゴ投稿の、7月8日の記事「日本にいる日本人はクローズドマインドだ」にて、若草に対する中傷する内容の記事を投稿してしまいました。

投稿する段階で、相手に対する配慮、不特定多数が閲覧する公共の場であることの自覚のなさがあり、心より反省しております。記事にて表現した若草の人間性は、実際とは異なる人であります。

今後、相手を傷つけることがないよう細心の注意を払い、当ブログの運営を続けていく所存です。

この度のことは、全くもって弁解もなく私の責任であります。若草、またご友人、読者に深くお詫び申し上げる次第です。

以下、前回記事を改編したものです。

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子供のころ、すっごいくくられて話されるとなんだか嫌だったんですよね。

「子供は、なんとかだ」とか。「男はなんとかだ」とかね
「おいらは、違うんだけどな~」と違和感に思うこともありました。

よくあるのが、「最近の若者は、~」とか「ゆとり世代は、~」「お年寄りは、~」とかが代表的ですかね。

この違和感を私的に解決できたのが、三段論法ってものでした。

「男性は、入場料1500円です」
「あなたは、男性です」
「だから、あなたは1500円です。」

上記は、あってるケースです。
男性=入場料1500円
あなた=男性
あなた=入場料1500円

てな感じですね。

「高校球児は、坊主だ」
「あなたは、高校球児」
「だから、あなたは坊主にしなさい」

この場合が、ずーと謎でした。
1段目の「高校球児は、坊主だ」の前提部分が合ってないと違和感のもとになるんじゃないのかなと

人は、それぞれ年齢、性別、国籍、生まれ育った環境によって特性がでるもんですから、人をくくって話すことに否定する気はないですけど、
「ラテン系は、陽気だよね」とか「日本人はまじめだよね」とか、
真面目じゃなくてもうれしいですよ。
こういう風にくくって会話の糸口にする分には、すごい良い表現方法だと思うんですけどね

でも、「○○人は、日本が嫌い」、「○○教徒は、あぶない」とか
こういう表現で人を差別をするのは、だぶん前提の部分が違うんじゃないかと思うんです。

なんだか、こういう風にくくって人と接することってもったいないですよね。
せっかくのコミュニケーションを逃している気がして、人それぞれ個性がありますから、そこをしっかり見てコミニケーションした方が絶対いいですよね。

映像や写真でも一緒で、戦争の映像が流れても、きっとそれがすべてではない。
ジャーナリストが、希望に満ち溢れた子供たちの笑顔、家族の愛に満ちあふれた写真を撮っているじゃないか。
それこそが、戦争をすべての人が望んでいるわけじゃないという証拠だと思うんだよね。

梅雨の日本で、世界が、平和になるのを願うのでした。

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